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くりはら田園鉄道株式会社について

くりはら田園鉄道株式会社は、以前宮城県にあった第三セクター方式の鉄道のことです。
経営難で、残念ながら2007年3月31日に廃止されました。
1993年12月15日に、石越駅と細倉マインパーク前駅とを結ぶ栗原電鉄(くりはらでんてつ)の株式が、親会社の三菱マテリアルから当時の沿線5市町村に譲渡され、第三セクター会社となりました。
1995年4月1日に、社名を「くりはら田園鉄道株式会社」、路線名をくりはら田園鉄道線に改称しました。
けれども経営状態の悪化のため、2007年3月31日をもって、くりはら田園鉄道線を廃止し、会社は解散となりました。
現在では、線路や踏み切りなどの鉄道設備は駅舎を除いて撤去されています。

くりはら田園鉄道の最終日

民間鉄道の宮城県のくりはら田園鉄道(全長25.7キロ)が廃止される2007年3月31日、鉄道ファンや沿線住民が別れを惜しみました。
くりはら田園鉄道は1921年開通。
赤い車両の「くりでん」の愛称で親しまれていました。
細倉鉱山の鉛や亜鉛、沿線の農作物などの輸送に活躍、最盛期の65年度には183万5000人が利用したのですが、87年の閉山で乗客が激減。
93年に第三セクターに移行したものの経営難が続いていました。
そして、300人近くの鉄道ファンや地元の人が石越駅に駆けつけ、「お別れセレモニー」も開かれました。
そして予定より約1時間遅れの午後7時過ぎ、降りしきる雨の中、石越発細倉マインパーク前行き最終列車が出発しました…。
列車が去ったあとも、窓口は記念に乗車券を買い求める人の列が長く続きました。
こうしてくりでん最後の1日は終わりました。

鉄道博物館学芸員の岸由一郎さん

2008年6月14日午前8時43分、岩手県内陸南部を震源とする「岩手・宮城内陸地震」が発生しました。そして、宮城県栗原市の温泉旅館「駒の湯」において、鉄道博物館学芸員・岸由一郎さん、地域プランナー・麦屋弥生さんが犠牲になりました。
2人は、くりはら田園鉄道の廃止後の活用方法を検討する栗原市の有識者組織の委員として現地を訪れていました。
2人は廃線になった「くりはら田園鉄道」の保存活用を検討する委員会のメンバーとして、栗原の活性化を熱心に支えてきました。
そんな2人の死を悼む声が相次いだそうです。
岸由一郎さんはもともとは日帰りの予定だったそうですが、翌日が休みだったことから、栗原市の湿原での環境資源調査に同行することになり、同市内栗駒にある駒の湯旅館に宿泊したのです。
翌14日朝に岩手・宮城内陸地震が発生。
そのおよそ10分後、土砂崩れに伴う土石流が旅館を直撃しました。
旅館の建物は50メートルほど押し流されて倒壊。
2階建ての1階部分が土砂と水で埋めつくされました。
生き埋めになった岸由一郎さんは翌15日の午後になって捜索隊により発見されたものの、窒息のため既に死亡していました。
岸由一郎さんは津田塾大卒業後、日本交通公社に入社。
観光計画や地域調査が専門で、平成16年からはフリープランナーとして、金沢市を活動拠点に、自宅のある東京と往復しながら観光地づくりの指導を行ってきました。
そして今年2月から、第3セクター「くりはら田園鉄道」廃線に伴う、鉄道の資産の活用保存に関する検討委員会のメンバーにも委嘱されていました。

Copyright © 2008 くりはら田園鉄道は廃線になりました